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京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵
自筆「源氏物語」の「澪標(みおつくし)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。坂下門外の変 関係文書 犬養毅 鳩山一郎 古文書【24-0219-1】。
原文は「源氏物語・澪標の巻」として美しく描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。【和本】韻鏡 韻鏡索隠 中国 音韻学関連 和本 3冊セット 寛文3年 長尾平兵衛 和本 唐本 太田子規 古文書 江戸時代 版本 中国 1はy。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。前橋藩藩士屋敷割図。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。中村正蔵『日本外史新論』(全2冊揃)明治16年 成美書堂(岐阜)明治時代和本 頼山陽。現在の今上天皇と系譜がつながっている。経典【仁王経開題 附仁王経陀羅尼】高野山根本大塔完成局 真言宗 経文 (管理74425016)。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。[R0419-020] 増補名物錦繍類纂 着物 デザイン 図集 明石染人 狩野秀峯 平安堂 京都。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。川越藩(前橋藩)前橋御陣屋絵図。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。【希少/除籍本】日本医籍録 大正14年発行 土屋義衛/本田六介 医師/医者/名簿/リスト/日本/朝鮮/台湾/満州【ta02g】。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。佐藤鶴城(佐藤民之助)『とし玉』河内屋喜兵衛他刊 水戸藩に仕えた和方の医師 江戸時代和本 医学書 医書 東洋医学 健康法 長寿法。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。『頭書絵入 小野篁歌字尽』森屋治兵衛刊 江戸時代和本 往来物。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。(11)珍品古書和本「万葉集類句 一~五」計5冊、長歌部? 寛政十一年発行? 山上憶良、大伴家持、山辺赤人・・・(11)。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。さなえ956 江戸期 越前松平藩主 松平春嶽公直筆 御添削文 碧水拝 漢詩11首 本物保証 古文書 越前府中旧家蔵うぶ出し。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。川尻宝岑序 一糸画『寛政秘録夢物語』明治18年 村杉吉作刊/永昌堂発兌 明治時代和本 浮世絵 錦絵。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。尾張志・8冊/尾張藩最初の藩撰地誌・張州府志をもとに国号・御城・郭内外市井・産物・神社・城跡・川橋・人物・寺院・古跡などを収録。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。和本 虞列伊氏解剖訓蒙図2冊揃 医学書 送料無料。また、各巻ごとの書かれた年については不明。太平記新釈 石田吉貞 著 大同館書店 大正15年 裸本。従って、応永五年とは、書き始めの年である。高岡辰子(高岡智照)著 小村雪岱装丁『照葉懴悔』昭和3年 騒人社書局刊 函付初版本 新橋芸妓/舞妓の随筆集 花街 花柳界 遊郭。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。岡本監輔(岡本韋庵)著 三宅憲章校『万国通典』(全6冊揃)明治17年 集義館蔵版 明治時代和本 阿波国(徳島県)生の北海道・樺太探検家。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。丹頂齋一聲撰點印入俳諧巻 文化文政頃刋寫。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。茶之湯故實奥儀鈔巻四・茶之湯故實奥儀鈔巻五・2冊/元禄十一年/和本・貴重茶道史料。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。【昭和49年覆刻・限定500セット「古文書時代鑑(上)」】東京大学史料編纂所編/定価20万円/。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。★Z60和本明治27年(1894)古地図「新潟県中頸城郡根越村大字曽根田地図」1冊(21図)/上越市/古書古文書/手書き。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。浅田一鳥・豊竹応律他作『前九年奥州合戦』宝暦7年 鱗形屋孫兵衛・八文字屋八左衛門刊 江戸時代和本 浄瑠璃本。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。矢橋赤山・矢橋赤水著 大野鉄之助編『赤山遺稿・赤水遺稿』(全2冊揃)昭和10年 矢橋龍吉刊(岐阜県不破郡)岐阜県・美濃赤坂郷土史料。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。古文書 希少『大臣関白状』『二条政関白』室町時代 二条正嗣 肉筆 公卿 関白 太政大臣 祭り事 皇室 神事時代物唐本唐物政事古書古筆古美術。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。平城明徳序『元明花鳥画典』(全2冊揃)1883年 青木嵩山堂刊 明治時代和本 木版画 元明華鳥画典 中国絵画 中国美術 中国古画。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。【明治32年 富岡永洗木版『新婚旅行の図』付き 旅行案内 日用百科全書 第14編 大橋又太郎 編 博文館 検】芸術美術古写真古書歴史資料骨董。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。賀茂季鷹著 源躬弦跋『正誤假名遣』天明8年跋 上総屋利兵衛版 江戸時代和本 歌人・国学者による仮名遣い一覧書。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。f24020805〇文の文庫 書淫欄主人序編 艶書 艶本 江戸末期〇和本古書古文書。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。C1/桃垣葉 上下 和綴本。
出品した「源氏物語」は澪標(みおつくし)の内容の要旨
「澪標の巻」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。軍事資料 兵営図 絵図★「歩兵第三十連隊略図」明治34年11月発行 所在地 新津 - 村松 - 高田。第14帖。入手困難 極美 古銭『小林会長古稀祝寿泉譜』日本貨幣協会 昭和37年 拓本 寛永通宝 元文稲荷小判金 古札 神聖ローマ帝国古銀貨 大福二神。源氏の君が都へ戻った翌年の2月、朱雀帝が譲位し、冷泉帝が即位した。■『浮世オン・パレード』酒井潔著・兼編集装丁担当。談奇群書。昭和6年初版。竹醉書房刊。■比較的稀本の範疇。。11歳になった冷泉帝は、年齢より大人びて源氏の生き写しのような美しさであった。『複製本 山陽筆 象墜記 原本:高松宮家蔵品 絹本 別冊付き 審美書院 年代不明 頼翁 真蹟 象墜帖 戦前。源氏の君は内大臣となり、政界は源氏の君にとって追い風となる情勢であった。【和本】三刻 春秋左氏傳校本 全30巻・15冊 著者: 尾張秦鼎校本・他 明治4年 出版社:山内屋五郎助・他★ko2.01。親友の頭中将も、権中納言に昇進し、12歳になる娘を入内(帝の妃となるため後宮―妃たちの御殿―に入ること)させようと大切に育てていた。東京名所 巻一・巻三 寫本 江戸名所圖會抜萃。二条院で源氏の君の帰りを待ちわびていた紫の上への思いもあり、内大臣という立場も重なって、源氏の君は以前のように軽々しく恋人のもとへ出歩くこともできなくなっていた。摂大乗論講読 上田義文 昭和56年 浄土真宗 仏教 検)親鸞本願寺仏陀空海浄土宗浄土真宗真言宗 戦前明治大正古書和書古本 NF。その秋に、源氏の君は住吉にお礼参りのため参詣した。最短即日発送 激レア 初版 1902年 小泉八雲 ラフカディオ・ハーン『骨董』 KOTTO 洋書 古書 GENJIRO YETO アンティーク 現品限り 英語版。偶然にも明石の君も参詣に来ていたが、源氏の盛大な行列に気後れし、身分の差を感じながら遠くに源氏一行を眺めるだけであった。和装本 講孟剳記 全3冊 吉田松陰 松下村塾蔵版。このことを知った源氏は、歌と慰めの言葉を送った。中外新聞 外篇 巻1~巻23(終巻)完揃 柳河春三。源氏は斎宮への未練を感じつつも、御息所との約束を守り斎宮を自らの養女に迎える。小堀遠州自筆書状幅 永井尚政宛。朱雀院から斎宮を妃にとの要望が来ていたが、源氏は藤壺の助言を得て、斎宮を冷泉帝へ入内させることにした。▼ 【計5冊揃 定本墨場必携集成 全巻セット 雄山閣 北川博邦 昭和62】182-02403。
「澪標(みおつくし)」自筆原本の上部には、「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。弓道・弓術巻物・日置流雪荷派・方道起請巻・射形目録・八十五箇条・長さ約3m50cm。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。曲斎注『七部婆心録』(全6冊揃)万延元年跋 山城屋佐兵衛他刊 江戸時代和本 俳諧書 俳書。この言葉は、「澪標」の巻の原文には「みつからも、もて離れたまへるすちは、さらにあるましきことと思(おほ)す」とある。稀少 1850年 嘉永3年 堀川唄 真實録 木版画 浮世絵 山姥 鬼婆 鬼女 妖怪 化物 怪奇 大鷹 侍 刀 着物 和本 草双紙 古書 古文書 約100ページ。原文の意味は、明石から帰京した源氏の君は政界に復帰したのち、東宮が冷泉天皇に即位する。近江彦根藩領出流原村古文書●嘉永6年 御巡見ニ付御用向御窺之覚と人足数 8丁 藩主井伊直弼⑩ 下野国安蘇郡 現在の佐野市 231015。源氏の君は、冷泉天皇の父として太政天皇に即位する。写図『応永二十四年難波七浦図 全』宝暦5年写 応永24年に描かれた大坂近辺の港湾図 江戸時代古地図 和本。源氏の君は望外の喜びとし、ご自身としてもおよびもつかぬ帝の父としての位に至るなど、あり得べからざることと思うと同時に「心が安らかであれば、それまでの煩悩が消えていた」という意味である。生花古流百記 上下/ 和服裁縫全集 / 相馬日記 かなり古いもの全て 古書セット アンティーク。篆書印の詩文は、この原文と白楽天の心情を重ね合わせたものと推定される。泉花堂三蝶『諸鳥飼伝百千鳥』寛政11年序 飼い鳥の餌の製法や病気治療法など鳥の飼育全般を解説した博物学書 江戸時代和本明治刷。紫式部が「澪標」を書くに際し、白楽天の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかるし、篆書印を押捺した人も白楽天の漢詩に精通していたことを伺い知ることができる。松井輝星(松井羅洲)『它山石初編』(全四巻四冊揃)弘化2年 銭屋惣四郎他刊 江戸時代和本 易学者による随筆集。詳細な理由は下記説明欄に記載(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。西天東土/神月徹宗/非売品/大正12年/支那に入り上代の禅跡を訪ひ次で印度に遊び遂に仏世の聖風を慕ふ。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻》
「澪標」の巻は英文で「Channel Buoys」と表記されます。観て来た満鮮/東京市立小石川工業学校長・杉山佐七先生/非売品/昭和10年/國民の多數が満洲國の賞状を正視し理解し認識しなければな ぬ。
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。広瀬旭荘『梅詩鈔 初・ニ・三編』(9冊)嘉永元年河内屋茂兵衛他刊 漢詩集 江戸時代和本。)
「自筆原本」
自筆右下の印2つは、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。北満風土雑記/三上次男/昭和13年/歴史考古民族等諸學の研究者に歡迎されることは勿諭一般讀者も北満跋?の雄圖が勃として胸裡に湧起する。
自筆上部の「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。影宋本 備急千金要方(千金方)孫思邈 医学書(複製)和綴じ本(和本)35冊揃 昭和49年 限定500部 タトウ箱 毎日新聞社 専門書 s22042403。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 小笠原 小笠掛之書 古文書。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名な一節です。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 毛利 古文書 書状。
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。浜野知三郎編『海保漁村先生年譜 附論語駁異』昭和13年刊 太田錦城に師事した幕末の考証学派の儒学者/漢学者 漢文集。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。平戸松浦家編『梅沢荘賀寿詞集』昭和8年刊 献呈箋付(伯爵松浦厚)漢詩集 和本 和装活字本。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。絵図 (城郭図) 島根県 石見國 浜田城 濱田城 (レターパックライト発送)。
《「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻》
原文には「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。頼山陽選『古文典刑』(全3冊揃)河内屋茂兵衛他版 江戸時代和本 岡山県師範学校旧蔵書。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。渡辺玄対『南画山水画式』(全2冊揃)大正7年松山堂蔵版 江戸時代中期の山水画家が中国絵画(中国古画)を臨写した木版画譜 中国美術 和本。この漢詩は「白楽天の文集」に由来するものです。フリードリヒ・フォン・シラー原著 葦田束雄『字血句涙 回天之弦声』(全2冊揃)明治20年鎗田政治郎刊 明治時代和本 ドイツ文学翻案書。》
つきせすそかた(語)らひなくさめきこ(聞)え給ふ。f240502032〇彩色木版画 広重 富士三十六景 甲斐犬目峠 山梨県上野原市 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。
かやうのつゐてにも、かの五せち(節)をおほ(思)しわす(忘)れす、
「またみ(見)てしかな」と心にかけ給へれと、いとかた(難)き
こと(事)にてえまきれ給はす。送料無料!? 戦前 主婦之友6月号付録 島田啓三 新案カハリ絵 コロコロ探検隊 昭和24年あたり 当時物 昭和レトロ。女、物思ひた(絶)えぬを、
おや(親)はよろつに思ひい(言)ふこと(事)もあれと、世にへ(経)ん
こと(事)を思ひた(絶)えたり。ジャングルブック 菊地寬編。
「心やすきとの(殿)つくりしては、かやうの人つと(集)へても、
思ふさまにかしつき給ふへき人もい(出)て物し給はは、
さる人のうしろ(後)み(見)にも」とおほ(思)す。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 書状 古文書。
かの院のつくりさま、中々み(見)ところ(所)おほ(多)く、
いま(今)めいたり。菅茶山『黄葉夕陽村舎詩 前編』(全八巻附録二巻五冊揃)弘化4年 河内屋喜兵衛他刊 江戸時代和本 漢詩集。よしあるす(受)りやう(領)なとをえ(選)りて、
あてあてに・・・・・《もよほしたま(給)ふ。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 毛利 古文書 書状。》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。明治の頃 各種台帳の大山(^00XE19C。
《「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻》
《東宮(皇太子)が冷泉天皇として即位、源氏の君内大臣に昇進》
《予言通り、源氏の君と明石の姫君の間に姫君が誕生》
《明石の姫君の乳母として桐壺院(前桐壺天皇)に仕えた宣旨の娘を乳母に選ぶ》
《未来の后となる明石の姫君の乳母の明石に到着、明石の人々喜ぶ》
《源氏の君・花散里(桐壺天皇の中宮の妹)を訪問》
《(源氏の君)「どうして、あの折、このような悲しみはまたとあるまいと、
嘆き悲しんだのでしょう。★★蒔絵箱入り 小倉百人一首 百人の和歌 飛鳥時代~鎌倉時代の歌人★★。情けない私の身にとっては、
ご帰京の今とて同じ嘆かわしさでございますのに」
とおっしゃるのも、おうようで、いかにも愛らしく感じられる。けいせい恋飛脚 傾城恋飛脚 安永2年 菅専助・若竹笛躬 浄瑠璃歌舞伎 近松門左衛門 江戸時代 検) 古書和書古本和本古文書写本 NT。
君(源氏の君)は例によって、どこからお取り出しになるお言葉なのだろうか、
綿々と尽きることなく》・・・・お言い聞かせになり
女君(花散里・桐壺天皇の中宮・麗景殿の女御の妹)を慰めておあげになる。f23122905〇佳人之奇遇 1~10巻 10冊 東海散士 柴四郎 博文堂 明治24年 会津の遺臣である東海散士佳人之奇遇〇和本古書古文書。
このようなことがあるにつけても、君(源氏の君)はあの五節(ごせち・太宰大弐の娘)を
お忘れにならず、もう一度逢(あ)ってみたいものと、お心にかけていらっしゃるけれども、
今はまったくむずかしいことで、人目を忍ぶこともとうていおできにならない。古文書 太政官日誌 明治2年 第11号~17号 7冊まとめて。
女(花散里・桐壺天皇の中宮・麗景殿の女御の妹)は、君(源氏の君)を
お慕いする思いを断つことができないので、親はさまざま思案をして話を
もちかけるけれど、人並に縁づくことをあきらめている。富岡鉄斎題字『能楽装束文様大観』彩色木版画12枚入 明治時代末に刊行された能装束作品集 お能。
君(源氏の君)は、気のおけぬ新邸を造営して、このような人々を集め住まわせて、
思いどおり養育したいとお思いになる子がもしもお生れになったら、
そういう人のお世話役にでも、とお考えになる。広川正編輯『清楽横笛独時習』明治26年 吉沢富太郎刊 清楽譜 明清楽 中国音楽 明治時代和本。
その院(二条院・本邸)の造りようは、
本邸よりもかえって見どころが多く、当世ふうの趣向である。武田鶯塘著 巌谷小波題句 岡野栄木版画『鶯塘集』昭和10年 南柯吟社出版部刊 俳句集。
たしなみのある受領(ずりょう)などを選んで、それぞれの分担をきめて、
東院(二条院・別邸)の・・・・・《工事をお急がせになる。戦前資料 欧州戦争と各国の臨時措置 第1輯 昭和14年 大阪商工会議所 BD03。》
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。『筆道指南手引草』(全3冊揃)文化3年多田勘兵衛他刊 江戸時代和本 書道往来物。
《Channel Buoys (澪標)》
《"And why," she said, gently as always,》… "should I have
thought then that I was unhappy?
It is no better now."
He made the usual points (one wondered that they came
so effortlessly) as he sought to comfort her.
He had not forgotten the Kyushu Gosechi dancer.
He would have liked to see her again, but a clandestine
meeting was altogether too difficult to arrange.
He dominated her thoughts, so much so that she had turned
away all the prospective bridegrooms who interested
her father and had decided that she would not marry.
Genji's plans were that once his east lodge had been redone,
all cheerfully and pleasantly, he would gather just such
ladies there, and, should a child be born who required careful
upbringing, ask them to take charge of it.
The new house compared very well indeed with the old,
…《for he had assigned officials of intelligence
and good taste to the work of remodeling.》
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《航(澪標)》
些不知道他是从里学来的。f#6 特装本 戦前書籍 鮭鱒聚苑 松下高・高山謙治/著 昭和17年 水産社 1500部限定 当時物 /M04。此,
他又起那五小姐来。英吉利文典。他始不忘个人,
想再一面。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 中津 古文書 書状。然而相机会得,又不能地去。源氏の君・東の院に住む空蝉(うつせみ)の君としみじみと語り合う「源氏物語」初音の巻の原本・大炊御門宗氏・自筆・12B。
那女的也始不忘源氏公子。源信『阿弥陀経略記』承応3年 秋田屋平左衛門刊 江戸時代和本 天台宗 仏教書 仏書。父母屡次婚,
却不心。【希少】優秀犬作出の理論と実際 陸軍大佐 今田荘一 日本犬 日本ドツグ社 昭和8年【ta04b】。源氏公子想建造几座舒的邸宅,
把五之的人邀集来,
如果要教明石那个前程大的女儿,
可些人当保姆。楽翁 松平定信書幅。他那院的建筑,
比二条院更加究,全是代格。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 古文書 書状。
他定几个熟的国守,
叫他分担些建筑工事,要克日完成。邪宗門 北原白秋 日焼け強/HCZG。
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
左の写真が「源氏物語」澪標の巻の末尾(原本番号36-A)の押印。【洛座】王羲之彙帖大観 10冊 揃い 于右任題 呉昌碩 < 煎茶道具急須中国古美術中国古書漢籍書道碑法帖。
写真左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。室鳩巣著 国枝松宇補『重訂赤穂義人録補正』(全2冊揃)明治5年静観堂伊六 明治時代和本 赤穂事件 赤穂義士 赤穂浪士 忠臣蔵資料。冬姫は内大臣・通誠の養女。サナエ748 江戸期 古文書 明和九年略年代記 江戸大火の報告書 9ページ 墨筆 肉筆 本物保証 越前府中蔵うぶだし。
冬姫は通称。0026716 前々太平記 全20冊(21巻)揃 平住専安 毛利田庄太郎 正徳5年 伊予吉田藩 御殿医。正式な名は伊達貞子。庭川庄左衛門序『将棋袖珍手段』宝暦13年序刊 江戸時代の将棋書 江戸時代和本。
上部には、「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。和本 道二翁道話四篇巻中、道二翁道話二篇巻下、2冊セット 寛政8年(1796年)頃 須原屋茂兵衛。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。和書 弓道 神事儀礼 図解入り解説書 「射禮一統百手口訣」 流派、年代不明(恐らく江戸時代後半) 肉筆 武家保存希少品 23丁半。
篆書体右の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。王羲之 拓本 複製 大正元年 真草千字文 小林写真製版所 楊守敬 内藤湖南跋 小川為次郎 1217T1G。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。近世木活字本 渋井徳章記 近藤忠質訳『責而者艸 前編』(4冊=巻七~十)江戸時代和本 歴史随筆集 史書。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(澪標の巻)MRI 14―17A
自筆下二つの印のうち下は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款
「源氏物語」「国宝・囲碁をする今上帝と薫の君」の資料
下記写真は、源氏の君の住吉神社への参詣。曲亭馬琴著 歌川豊広画『朝夷巡嶋記 第四編』(3冊)文政4年 河内屋太助他刊 江戸時代和本 読本 朝夷巡島記全伝。娘の明石の姫君が将来の帝の后となるべく願いの願ほどきに参詣する
上記絵巻は、源氏の君の住吉参詣。【倉敷浅尾騒動史】 渡辺頼母編 大正8年。襖絵は俵屋宗達
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。古文書 古書 立原翠軒「吉利支丹法服諸器物目録」 昭和3年 珍書大観 吉利支丹叢書 歴史資料 彰考館 水戸藩 (レターパックライト発送)。
「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。扶桑蒙求 岸鳳質 天保14年 李澣 幼学書 寺子屋 尋常小学校 世話千字文 和漢朗詠集 検) 戦前明治大正古書和書古文書写本古本 NY。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。1911年 書画鑑定大日本名家全書 印譜 花押 検索:法書道 封泥 篆刻 金石鼓文 篆字 落款 羅振玉 支那 呉昌碩 朱印存 斉白石 張大千 黄易 雅印。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。三橋四郎次著 石井柏亭装丁 島田青峯序『光波子句集』昭和16年 私家版(静岡県)三橋光波子俳句集 菊川市郷土史料。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。N23040103 京都府布達明治9年〇癲狂院(てんきょういん,8年南禅寺に設立,我国初の公立精神科病院,川越病院の起源)治療条則改正 入院料は随意。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。鳥井正之助編 大庭新八翻刻『一筆漢画』(全4冊揃)明治14年刊 中国光緒年間の草花画手本帖の和刻本 彩色木版画譜 明治時代和本 中国美術。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。新居帖 全4冊◆頼山陽、桃花庵、明治9年/u167。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。即決1857年安政4年『仮題 鯰絵暦指南書』陰陽師アンティーク天文暦学書、暦指南、八卦、卜占、江戸期和本、 Planisphere, Celestial atlas。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 藤原盛道 寛永 武蔵風土記 古文書。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。東亜研究所 資料 南方地域の鉄鋼など 他 計6冊。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。軍事資料★「通信所日誌」明治36年9月18日ー23日 鶴原通信所 広島湾 呉要塞砲兵連隊便箋。撮影後、展示のために再表装をしております。淺智露 (武具 鎧など) 鏡嶋源養正著。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。N23021111○熊谷県布達明治8年○本県利根郡湯檜曾村より新潟県魚沼郡清水村迄 清水越の開鑿落成 三国嶺通に比し里程短縮 熊谷県権令梶取素。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。唐衣橘洲『狂歌初心抄 完』寛政2年序 耕書堂刊 江戸時代和本。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 古文書 書状。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 犬甘 甲冑之部 鎧着 古文書。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。【洛座】明清名家書法大成 全八巻 本 初版 1993 定価 126,000円 <古本 呉昌碩 王鐸。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。松本楓湖編『日本画譜』(全2冊揃/木版画16枚)渡辺省亭 永峰秀湖 川端玉章 橋本雅邦 岸竹堂 小林清親 荒木寛畝 瀧和亭 菅原白瀧 跡見玉枝。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。伊良子光信編 中川重麗校『金石図解 全』明治15年 村上勘兵衛刊 明治時代和本 銅版画口絵入 鉱石・鉱物類を図版入りで紹介。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。梁川星巌『星巌集』(全12冊揃)天保12年 河内屋茂兵衛他刊 江戸時代和本 漢詩文集 漢詩集。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。信濃國上水内郡南郷村未年浄土真宗宗門人別改帳。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。石田玉山『国姓爺忠義伝 前編』(全十三巻十三冊揃)文化元年 柏原屋源兵衛他刊 江戸時代和本 読本 絵本国姓爺忠義 中国史 浮世絵師絵入本。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。蕉風極秘傳 中花堂東川 寳暦四甲戌年 會津藩家老一瀬氏舊藏本。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。和刻本正史 漢書ニ 列傳下。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。アンティーク、天文暦学書、卜占、気象気候、28宿、古暦、江戸期和本1659(万治2)年『新板長暦 上下 2巻揃』太陰暦。母は後水尾天皇皇女女二宮。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 毛利 古文書 書状。実母は近衛家女房(瑤林院)。詠史百首 大沼枕山 明治期 和歌 短歌 詩学 戦前明治大正古書和書古本 NK。幼名は多治丸。皇国開闢由来記・日本国開闢由来記・4冊/指漏漁者編・国芳画/絵入和本。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。清水了随纂輯『油断大敵 一名心のせめ 全』明治12年 思誠堂蔵版/うさぎ屋誠刊 狂歌集 明治時代ボール表紙本。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。福澤諭吉著『清英交際始末』(全2冊揃)明治2年 尚古堂刊 阿片戦争後のイギリスと中国の外交関係を記す 明治時代和本 福沢諭吉。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 中津 書状 古文書。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。観世流改訂謡本 40冊セット 明治発行。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。聖戦美術/陸軍省情報部/非売品/支那事変二周年記念日/昭和14年/小磯良平・向井潤吉・川端龍子・橋本関雪/荒木貞夫題字/和装本/戦時資料。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。和本「毛詩鄭箋標註・詩經古註標註」全20巻合本5冊揃 天明6年(1786) 江都東山先生/訂正 中国最古の詩篇 儒教 経典 (江戸。
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